成功談を見るより、失敗談を見た方がよい

タイトルが、言いたいことのすべてである。

なぜなら、成功とは努力の上に積み重ねた一握りの運であり、

努力していても失敗することはあるからだ。

失敗と成功に、有意な差はない。ないのだ。

失敗から学ばなければ成長できない。

で、あればTVや雑誌、ネットといったメディアで流すのは失敗談、それから得たもの、だけでよい。

成功が書かれるのは、ハッピーエンドが大衆に好かれるからであり、そこに学びはない。

いろんな失敗をせずに成功することができないのであれば、成功をいたずらに流すことは、『「成功しなければならない」という固定観念を植え付け、冒険心を削ぐ』という最悪の行為に他ならない。

 

死にたい時の話

12歳の頃から、時折死にたいと考えるようになった。

「靴紐が解けたから」「不登校だから」「ニートだから」「面接に落ちたから」そんな理由である。

 

 

仮に、ここで僕が死んだ場合。

悲しむ人はいない。

居たとしても、それは僕が悲しませたい人だ。

手を指し述べてくれなかった人だ。

 

忘れるように眠っても、また夜は来る。

タナトスの衝動とともに。